吉田兼好も徒然草で「よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。」と言っているがレコードをくれる友達は最高だ。
特に相手が私にこの曲を聴いてほしい、気に入ってもらえるはず、という思いでくれたレコードで、それを聴いた途端ノックアウトされるような曲であればなおさらだ。
以前、Boyle Heightsという名のソフト・ロックとイージーリスニングのパーティーを一緒にやってくれたアイコスくんというDJが、是非聴いてほしいとくれたレコードがタイトルにあるRoyale Five Plus Oneの”Look At Me, I’m The One”。
まず聴いてみましょう。あなたもノックアウトされるはずだ。
アイコスくん自身もオルガンバーでよくかけているので、あのパーティーの常連さんは聴いたことがあるだろう。
瑞々しくてキャッチー、それでいてベースやオルガンなどのグッとくるアレンジ、グルービーで最高すぎるソフト・ロック。
このアーティストは一体誰?ということで今回はRoyale Five Plus Oneについて調べてみました。
Royale Five Plus Oneとは
このグループについてネットで検索すると驚くほど情報がない。日本語では過去にこのレコードを扱ったデシネショップさんやdisque blue-veryさんなどが僅かに触れているがいずれも詳細不明とのこと。
7インチレコードのデータベースサイトである45catでようやく次のような情報が得られた。
米国東部の街メリーランド州ボルチモアで結成されたRoyale Five Plus Oneは、2組の兄弟、Tommy and Terri DiPaulaとJamie and Jeff Pescetto、それに親友のRick Tenansky, and Ezio Casalenaの6人編成。 6人揃って演奏したのは2012年の6月が最後で、その翌月にTommy DiPaulaは事故で帰らぬ人となった。
メンバー名と悲しい情報は分かったものの具体的なことは何も分からない。再びデシネショップさんのサイトよく見ると、
「詳細は不明ですが、恐らくは米国のSSW、Jeff Pescettoを中心とする?キッズグループと思われる」
とある。そこで英語版のwikiでJeff Pescettoを調べるとリファレンスに本人へのインタビュー記事(POP DOSE Jan. 18,2011)のリンクを発見した。そこには Royale Fiveの名前がありました。
また、Jeff PescettoについてはCash Box誌(Jul. 9, 1988)には「注目のシンガーソングライター」として彼の特集記事が掲載されていました。
Royale Five Plus Oneはボルチモアで16年間活動した地元の人気ライブバンドだった
彼らの故郷ボルチモアとはどんなところかというと、米国東部のメリーランド州の最大の都市でワシントンDCの北東に位置し、大西洋航路の重要な港湾都市として歴史のある町です。
日本人には上原浩治がかつて在籍したMLB球団ボルチモア・オリオールズの本拠地として馴染みがあるかもしれない。私も30年前に一度だけこの町に立ち寄ったことがあるが歴史のある美しい町だった。
上記のインタビュー記事によると、1954年生まれのJeff Pescettoは9歳の時に地元ボルチモアでビートルズに出会い、ギターを買ってもらい歌を覚えたそうだ。その後友達と集まってバンドを結成。当初Jeffの父親がマネージャーを務めた。そして彼が16歳ときRCAと契約をしたそうだが実際にレコードが出されたのはその2年後1972年のこと、しかもEvolutionというマイナーレーベルから。そのが冒頭紹介した”Look At Me, I’m The One”だ。
レコードのリリースに伴いツアーに出たりしたがヒットには至らず、程なく地元ボルティモアを中心としたクラブを活動の場に戻しライブバンドとして1985年まで活動することになる。1985年にJeff Pescettoがロサンゼルスに活動場を移したことによってバンドとしての活動は終わるが、2010年から2012年まで間、4回、ボルティモアでコンサートを開催し地元での人気を博したそうだ。
上でボルティモアという町について触れたのこの町の立ち位置をご理解頂きたいからである。首都に近い港町といえば、日本では横浜が思いつく。横浜にも地元で長年活動している人気ライブバンドをいくつか想起できる。Royale Five Plus Oneとはきっとそんなバンドだったのではないでしょうか。
Facebookで彼らのことを検索するとファンクラブが存在し、青春の証として大切に思っている人が多くいることがわかる。
Royale Five Plus Oneは、決してレコードが売れずOne Hit Wonderにもなれなかったマイナーバンドなどではなく、地元で長年愛されていたライブバンドだったのである。
Jeff Pescettoのその後
Jeff Pescettoは、ライブ活動の傍らSpector Recordsとソロ契約をし、1980年にはJeff & Aleta名義でカバー曲 “Love Touch” のレコードを出した。これはR&B TOP40に入ったが彼には全くお金が入らなかったそうだ。
この時、Teddy PendergrassのバンドのドラマーJames Carterのアドバイスでラジオ局へ売り込みを図った。ラジオ局の編成デレクターに$250のキャッシュを掴ませヘビーローテーションさせる作戦だが、2,000ドルぐらい使ったところで、これではレコードが売れても儲からないと気付き、その後はオリジナル曲の作曲に力を入れるようになった。
奥さんの協力と義理のお父さんの資金援助を得て4曲入りのEPを作り、Ameeican Song Festivalに参加、1982年、83年と連続入賞するが82年にBest R&B Songとして選ばれた”Just Like You”がSmoky Robinsonにカバーされたことから一躍人気職業作曲家への道に進むことになる。
この曲はQuincy Jonesの目にとまり彼の1984年Quincy JonesのQwest publishing companyと契約を結び翌年ロサンゼルスに移住することでRoyale Five Plus Oneの活動は一旦終了することなる。
その後は、Quincyの人脈で主にR&B、映画音楽などで作曲家、ボーカリストとして活躍することなるが、このブログはソフト・ロックをテーマにしているので詳細は割愛させていただく。
最後にJeff Pescettoの意外な活躍の場として、Disney関連の仕事を紹介したい。私ごとだが、90年代仕事でアメリカで暮らしていた時、幼い息子が楽しんでいたTV番組にDisneynのDuck TaleやChip ‘n Dale: Rescue Rangersがありビデオを何回も観てるものだから私までテーマ曲を覚えてしまう。これらのテーマ曲に、Jeff Pescettoはリードシンガーとして参加していたのだ。
この記事を書くにあたり関係者から情報を得たいと思いメールをメッセージを送ったがまだ返信はない。追加情報を得たら内容を更新したい。また、どなたかRoyale Five Plus Oneについて除法をお持ちの方は是非コメントをお待ちしています。
それではまた。
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